奥の院-過去・現在を俯瞰して、想像を超えた未来を創造する


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老後安心駆け込み寺の「奥の院」

こちらは、老後安心駆け込み寺みろく庵の「奥の院」です。

世界で一番リアル(現実社会)に近いスピリチュアル

を語る場としていきます。%e7%8f%be%e5%ae%9f%e3%81%b8%e3%81%ae%e6%89%89%e3%80%80%e3%83%9f%e3%83%8b

何やら妙なところに
迷い込んでしまった・・・

現実社会に戻りたいあなたは、
こちらの扉からどうぞ


多くの人が抱える老後の不安、
今現在に対して抱える漠然とした不安、
その根っこは、
実はお金の問題ではない、ということが多い・・・
と私は考えています。

なぜなら、「お金は愛の方向に流れたがっている」
(by リン・ツイスト氏)

あなたが自己愛、自己肯定感で満たされていれば、
豊かさは、必ずあなたの元にやってくるはずだからです。


私には何もない・・・本当ですか?

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自分には取り立てて誇れるものは何もない・・・
たいしたものを人に与えられない・・・
そうした無力感を感じる人も多いですよね。

あなたもそう感じますか?

自分は、価値のあるものを
何も持っていない・・・と嘆く人に、

「それじぁ、あなたの目をください、幾らでも支払いますから」

「それは渡せません、私にとってお金に代えられないものです」

「じゃぁ、あなたは価値のあるものをすでに持っているんですね」

という話を読んだことがあります。

そうなんですよね・・・
あなたも、私も、お金に換算できないものを
すでに沢山持っています。

上のたとえ話でも出てきたように、
こうしてこの画面を見てくれている目もそうですね。

アロマセラピストの学科試験で
解剖生理学を学んだとき、

体のありとあらゆるパーツは、
本当に見事に連動して私たちの肉体を構成して、
動かしてくれていることに、
改めて、神秘性と感動を覚えました。

あなたの家族、友人関係、
生活の糧を得ている仕事や会社
インターネットにつながる環境、
日々の食事、交通機関etc…

ありとあらゆるものに価値があり、
値段のつけられない価値があるものに
私たちは囲まれている。
数え上げると、きりがないんですよね。

何より・・・
あなたの存在自体が、この世界を構成する
かけがえのない存在なんですよね。

なんだか・・・綺麗ごとじゃないの?
そう思いますか?
・・・確かに、そうとれるかもしれないですね?

でも、私たちは一人ひとりの存在そのものが
やっぱりギフト、私はそう思います。

あなたの人生も、私の人生も
priceless(プライスレス、お金で買えない)な
precious(プレシャス、貴重な)ものなんですよね☆

そして、何より大切なのは・・・
あなた自身が、自分自身の価値を、
自分の人生の価値、素晴らしさを認められること。

あなた以上にそれを出来る人はいないのです。

それを腑に落としていくのが、
私が2016年8月~12月に学んでいる
時空力プログラムの手法です。

自分の価値は他人への立証は不要なんです。


あなたは、家族、特に親御さんとの関係は良好ですか?

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ずっと私が疑問だった、
「なぜ私は、彼女(母)の娘として産まれたのか?」について、
掘り下げていって、
改めて気づいたことがあったんですね。

ここを訪問してくれたあなたの参考になるかもしれません。
ちょっとシェアします。

2001年1月、まだ私が30歳になる前、
母は頭を強打して、軽い高次脳機能障害になりました。
母は高知に住んでいたのですが、
母を福岡の自分の部屋に呼び寄せることにしました。

怪我してすぐの入院・退院、福岡への引越しは
叔母がすべて取り仕切ってくれたんですが・・・
叔母は、入院時のとある事実を一つ、私に隠していたんですね。

頭を強打して救急車で運ばれた母が
意識が戻って翌朝、
見舞いにきた叔母と話したときの出来事です。

母は、可愛がっていた
わんこ2匹の存在と名前は覚えていました。
妹である叔母の存在と名前も、まぁ覚えていました。
母である祖母の存在と名前も、一応覚えていました。

ふふふ、もうお分かりですね。

母曰く・・・「私。。。確か娘が居たよね?」
私の存在はかろうじて
でも名前は。。。思い出せなくて、
自分で思い出してみる、ということで
かなり時間がかかってから、思い出したんだそうです。

私の名前を忘れられていたことを私が知ったのは
もう10年以上経ったあとでだったので、

「なんだよ、それ
私ってそんな位置づけだったのかよ・・・」と
がっかり?はしたけど、

まぁ、そんな状態からよくここまでたどり着いた・・・
と有難い・・・という気持ちの方が大きかった。

でも、もし母を引き取ってすぐに
その話を聞いていたら・・・

「私の名前を忘れてるような人の面倒、
私が見なきゃいけないわけっ!?
なんで、こんな迷惑をかけられなきゃいけないっ!?
冗談じゃないっ、出てけっ」って
怒りの炎に油を注いだかもしれないですね。

少なくとも、口げんかをしたついでに
そういう言葉は出してしまったでしょうね、当時の私なら。

私と母は見た目もあまり似ていませんが、
本当に親子か?と思うぐらいに性格も生き方も違います。

私は、中学校から寮がある学校に行き、
大学以降も県外、
私が母と暮らしたのは、小学校6年生以来、
16年ぶりぐらいだったんですね。

もともと性格が違うところにもってきて、
母は記憶力がきわめて怪しくなっていて、
話のつじつまが合わない。

彼女が今よりも良くなるようにと
私がアドバイスすることも、なかなかやらない、
もともと料理が好きな人じゃないところにもってきて、
頭がすっきりしない状態だから、
作る料理もかなり美味しくない・・・

私は毎日イライライライラ・・・
堪忍袋の緒が切れて、怒鳴ることもしばしばでした。

あれから15年、
2年前から母は一人暮らししています。
パートも2つ掛け持ちできるぐらいに良くなりました。

でも、母の本質も私の本質も変わらないので、
久しぶりに会うと衝突していたんですね。

衝突といっても、私がかなり一方的に攻め立てる感じ。
ひとつ間違えると私はモラハラじゃないか?
今思うと、ですけどね。

つい先日も、
彼女の用事で、彼女に一部分やってもらう必要があって、
何度もなんども頼んでいたことがあったんですが、
のーらり、くーらり、やってくれなかった。

結局何度も頼んで、確認出来なかったから
二度手間、三度手間になったので、
久しぶりに私の怒りが爆発しました。

いっつも、このパターンの
コミュニケーションしちゃう、ここには
私が見直すべき何かがあるとは思っていて、
でもずっと変えられなかった。

そこで、彼女との関係性を
今学んでいる手法で、何度か掘り下げていきました。

改めて気づいたこと、それは、
私は彼女が理解できない、
そもそも理解するつもりがない・・・という前提があり、
彼女が理解できるような言葉で
彼女に語りかけてこなかった、ということ。

これはもちろん無意識で、です。

そして、私が彼女と親子という関係性になったのは、
理解しにくい関係性を
もっとも関係性が近いところで体験することで、
私は人を理解できる器を広げることを学ぶ、
そのためではないか?ということに思い至りました。

よく子供は親を選んで産まれてくる・・・といいますが、
それが正しいとして、
私はずっとそれが腑に落ちませんでした。

「なぜ私は彼女を母に選んだのか?」

でも、私が人とのコミュニケーションを学ぶのに、
彼女以上に適した人はいないかもしれない、
今はそう感じています。

価値観が理解しにくい相手、
言葉が伝わりにくい相手だからこそ、
深めることができる、背理のようですが、
今、私はこういう視点で彼女との関係を見ています。

この視点を持ったこれからの私の
母とのコミュニケーションが
きっと変わっていくと思います。
また、その話はこちらでシェアしたいと思います。
——————————————–

後日談です。
今日、久しぶりに母と会いました。
叔母も交えてだったんですが。

ふとした母の一言
「そうやって私を悪く言うんやね、いっつも」
彼女は常にこういう無価値感を
私や叔母の発言から植えつけられてきたのかもしれません。

これからは無価値感を植えつける要素を少なくする
コミュニケーションしていくことが課題と思っています。
——————————————–

更なる後日談です。

無価値感を植えつけるのではなく、
あなたには価値がある(当然私にも価値がある、なのですが)
という前提でのコミュニケーション・・・トライ。

私がかけてもらいたい言葉を相手にもかけてみる、
ということを意識して先週の土日、
たまたま2日連続で私のところに用があった母と
会話をしてみました。

非常に穏やかな会話の時間でしたね。

土曜日は私のところに寄った後、
天神(福岡の繁華街)で買い物をして、
祖母のところに寄ったそうですが、
非常にご機嫌だったそうです。
(母の通常コミュニケーションは、
本人は認識してないけど、かなりぶっきらぼう系)

そして、日曜日も穏やかに会話をして、
私も頼みごとをして
(彼女は洋服のちょっとした飾りつけなどが得意)
必要とされている、という事実を
受け取りやすいようにしてみました。

無価値感、無力感と裏腹の関係にある、
人の役に立てる喜び、
身近なところから広げていきたいと思ったのでした。
——————————————–

更に後日談です。
すごいですね、私が変わると人は変わる、
これをここまで体感するとは!という感じでしたね。

なんと、
2016年8~12月に参加した時空力プログラムでの学びについて
彼女と話したんですよ。
彼女も彼女なり、意味するところを理解するとは!

私が彼女は理解できない、って決めていただけだったんですね。

イライラ、他人への非難はどこからくるのか?

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結論から言えば、

自分の無価値観、自己肯定感の低さから来る・・・

ということになると思います。

イライラは内側から湧いてくる感じが強いものなので、
なんとなく納得できるかもしれませんね?

でも、他人への批判、非難は、
まず他人の言動という外側からの何かありき、
という感じがするので、
何となく、自分の無価値観や自己肯定感の低さから来る・・・

というのは分かりにくいかもしれない、とも思います。

自分の無価値観、自己肯定感の低さって
実は、自分が認識できているものとは
ちょっと異なると思うんですね。

私なんて・・・とか
誰だれさんはすごいから・・・私はとてもそんな・・・
誰さんには出来るけど、私には出来ないもん・・・とか

そういう半分謙遜も混じったような、
嫉妬も混じったような、自分が認識している感情って

自分の無価値観や
自己肯定感の低さそのものではない、って気がします。

それはそうした無価値観や自己肯定感の低さを
守るために外にある鎧やバリケード的なものかな、と。

続きはcoming soon…

一般的にあなた/私が正しいときの落とし穴

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これって、実に難しいですよね、
その正しさから離れるというのは。

自分も相手もどっちも正しいかもね?と思える場合、
そんなに正しさに執着ってしませんけれども。

例えば、お金を貸したのに返してくれない、
夫(or妻、父、母)が暴力を振るう(身体的/言語的)
夫(or妻)が不倫をしている
詐欺を働かれた/物を盗まれた
飲酒運転の車にひかれたetc…

どう考えても被害者と加害者がぱっきり分かれて、
加害者が悪い、一般的には、ですね。

そんなとき、加害者に対して責任をとれ!
謝れ!損害賠償をしろ!
そういうことは法的に認められています。

ただ、人としての、魂としての学び・・・という観点からは、
法的な正しさというのは、必ずしも一致しないですよね。

自分が正しい時ほど、
その正しさにしがみついていないか?
その正しさを振りかざしていないか?
振り返ることが重要です。

そうでなければ、エネルギーが滞ってしまうんです。

以前、スピ系の方がメルマガで書いていた話も印象的でした。
幼くして病気で亡くなったりするお子さんっていますよね。

そういう事態の意味は一体何なのか?という話でした。

当然、ご家族にとっては
「なぜうちの子が?」という疑問がどうしてもぬぐえません、
傷も癒されないわけです。

でも、宇宙の法則としては、
つじつまがあっているそうなんですね。

もちろん、亡くなったお子さんの魂自体の課題であったり、
その周囲の人間が許しを学ぶためであったり、
いろいろとパターンはあるそうなんですが。

どうしても許せない、どうしても納得できない、
そういう気持ちが出てくる場合、
おそらくはその執着を手放す
ということを一つの課題として持っているんだと思います。

そして、その課題を腑に落としてクリアにしない限り、
手を変え、品を変え、別の形で同じ課題を出してきます。

どこかの時点でその課題をクリアしなかったら
次に持ち越しなんですよね。

私も、鋭意自分の前提というような課題に
まずは気づいて、そしてクリアにしていっているところです。

まだ、気付いていない課題もあるでしょう。
ただ、ちょうど人生の折り返し地点において、
こういう風に心から考えられるようになったこと、
そのことも時空力プログラムに参加したことの収穫です。

満たすべきは・・・まず自分

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まずは自分のカップにコーヒーをなみなみ注ぐ・・・

注ぎきったら・・・
溢れてくる、その部分が周囲に広がっていく愛である

そういうお話を
あなたも聴いたことがあるのではないでしょうか?

そうだよね!と速攻で納得できるあなたは、
多分とっても素直・・・
だから、色々な学びを実践して
効果を出すのもとても早いと思います。

が・・・

そうかもしれないけど・・・
「けど」とか「でも」が入ったあなた、

私の類友かもしれませんね。

私もこの話を最初に聞いたときには、
頭ではそうだろうと思ったんですよ。

でも実際に実行するのが簡単じゃあるまい?と
心の声がしたもの事実。

自分で腑に落とすまで、なかなか時間が
かかるちょっと斜に構えたタイプなんですよ。

ところで、あなたは分かりますか?

なんで自分からまず満たしましょうって
言われるんでしょうかね?

その答え、自分なりに持っておくと
これから先のココロのあり方、
対人関係とかもちょっと変わるかもしれません。

こういうココロとかマインドとかの世界って
正解は必ず1つ、ではないと思うんですよね。

いや、そもそ も正解という発想が
違うのかもしれない、とも思います。

答えを求めるから苦しいんでしょうからね。人生って。
自分で創り出すものですから、
答えを探すものでは多分ないんですよね。

それで、

私が考える「先ず自分から満たしましょう」の意味って。
これはあくまで現在そう考えている、
ということだから、また変わるかもしれないのですが。

自己信頼感、自己肯定感を持っている以上に
人を信頼も肯定もできないから、かなと思います。

これって、私は母国語と外国語の話っぽいなって思いました。

それは、外国語を勉強す るときに、
母国語の力以上に外国語が伸びるということはない
母国語がベースになる、
だから、母国語のベースをしっかり作ること、

って言われますよね。それと同じ感じがします。

時空力プログラムの佐藤さんがDNAに刻まれた
人類共通の怖れと喜びの話をしていたんですよね。

これはメルマガの読者さんにもシェアさせてもらった話です。

人類のDNAに刻まれた怖れって何だと思いますか?

無価値観、無力感なんですって。

これを直視することになると
人は立っていられないほどの深い絶望感を味わうのだそうです。

だから、直視しないようにする。

直視しないようにする方法としては
「逃げる」「守る」があるというんですね。

あなたの人生で滞っている部分があるとすれば、
あなたは、どういう無力感、無価値観から
逃げているか自分を守っているか、

そこを見るようにするとだんだん自分の本音が
見えてくるって思います。

私が見えてきた本音、逃げ、守りは、
このページの「ワークをしてみて気づいた私の備忘録」
のところでシェアしていこうと思います。

内観をより深めやすいワークは
Inspire for Spireal Lifeという
私の無料コミュニティ(SPI)でシェアしてるので、
関心があるあなたは、招待希望とお知らせくださいね。

勘のよい方は、SPIで私がシェアしているワークで
大きく人生を変えられること確実です。

招待希望を知らせる

では、人類共通の喜びって何だと思いますか?

これって「人の役に立てる」なんだそうです。
無力感/無価値観と表裏の関係ですよね。

上でも書いたんですが・・・
まず自分を満たす、というのは、言葉を変えると、
自分が自分の価値を最大限認める、ということだと思うのです。

自分が自分の価値を最大限認めることができると、
認めた以降の未来への選択肢も変わるけど、
それは自分が過去の自分、過去の体験への
見方が変えられたことによるもの、なんですよね・・・

私が繋がりたい人たち、その人たちと繋がれる私

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2016年10月現在の私がつながりたい人は、

・幸せにフォーカスできる人
・+αを実現できる人
・価値の循環ができる人

じゃあ、私自身は、
私がつながりたい人たちが繋がりたいような
人間でいるでしょうか?
常に意識しておきたいと思ってる点です。

11月に入って・・・
・感性に共感し合える人
・相互にインスパイアされる人
・バランスを重視している人
・ないではなく、あるにフォーカスできる人
・魂の学びに気づける、気づきたい人
そういう人たちとの間で価値を循環していきたいです。

その循環のさせ方として、
必要とする人が集まるコミュニティを作って、
私がこれまで体験してきたこと、得てきた智恵、
そういうものを、必要な人に必要なものをアレンジして、
縦横無尽に、自由自在に提供する、そういう世界です。

この世界を簡単に表現すると
「どらちゃんポッケ的コミュニティ」です(^^)

ワークをしてみて気づいた私の備忘録

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プチシンクロ/集合的無意識体験

11月22日は「いい夫婦」の日でしたね。

お世話になっている超素敵ご夫婦に
プチギフトをお送りしたんですよ、
このご夫婦への感謝の気持ちは、お歳暮よりも、
やっぱり「いい夫婦の日」のギフトかなぁ、と思って。

そのお礼メールで、面白いお話を教えて頂きました☆
なんと、今年に入って購入した車のナンバー
11月22日という
「いい夫婦の日」にちなんだナンバーにされたんだそう。

これも「集合的無意識だわぁ~
なんかプチシンクロで楽しい&嬉しい☆」
と思った出来事でした(^。^)

中学校の部活での出来事についての気付き

イライラする人に対して、
「どうして私はその人に対してイライラするのか?」
みたいなことを内観していたときに、
中学校の部活の先輩後輩関係で一つ気づきがありました。

私がよくイライラしていた人というのは、
大体次のパターンに当てはまっていました。

・仕事を頑張らない人(親とか他人頼み、人生なめてる?系?)
・気が利かない人

そこで、内観の最初の方で気付いたのが、
イライラする相手は、
中学時代の部活で
私が先輩から言われていたこととの鏡ということでした。

私は小学校のとき極めて大柄で
(今も標準より大きめだけど、
モデルのように背があるわけでも、
格闘技をする人のような体格でもない)、
中学校に入ったときも、
よく年齢を偽っているとからかわれていました。

小学校のときもランドセルは身体に入らなくなり(壊れた(笑))
普通のバッグで登校していましたし、
バスに乗っても乗務員の人が「こいつ年齢詐称じゃないか?」
という目でよく見られていました。

極め付けは、私にミシンの営業をされたこと。
母親を呼んでこいということかな?と思っていたら、
真剣に私に営業をされていたのでした・・・

さて、このような小学生らしくない小学生だったので、
中学校に入ったときの私も引き続き、
中1らしくない中1だったようです。

部活では、体格もあってか
動作がのろかった(本人は自覚なし)ようで、
とあるあだなを付けられました。

本当にその呼び名が不愉快で、
正直、先輩のことが大嫌いでしたし、

自制心があってよかったと、今になっては思うけれど、
殺傷沙汰になってもおかしくないぐらいの
(いわゆる週刊誌で「少女B子」とか書かれる事件を起こしかねない)
暗く重いどす黒い感情をその人たちには抱いていました。

どうも、私はそのことをずっと引きずっていたようなんですよね。
何時からでしょうか?
そのあだ名を絶対に見返してやるというような感じで、
真逆のキャラクターになっていきました。

もちろん、社会人になって、
その真逆のキャラクター(気が利く、テキパキ子)は
実に有効で、重宝したわけですが、
パンドラの箱のような形で
私の心の奥底にしまわれていたように思います。

内観をしていて気づいたのは、私がイライラする人たちは、
当時先輩がからかっていたような私、
気が利かない、動作がのろい(うすのろ?)人、
そういう人を見ると私の奥底にしまった箱が
開きそうになるので、
私はイライラしていたんだろうな、ということでした。

過去自分が嫌いだった人や
許せない人を許すみたいなワークを続けて
今でも別にその先輩たちを
好きという気持ちにはならないですが、
なんか、その人たちのことはどうでもよくなりました。

私は部活当時の自分を許容できたんでしょうね。
その不快な、ダークな気持ちになる体験をわざわざしたのは、
その後の人生で真逆の私になるきっかけを得るため、
そんな風にも思えるようになったのでした。

しかし、それで解決しなかったんですね。
特定の人に対するイライラが・・・
それは「これこそが鏡の法則-腑に落ちたこと」
のところに続きます。

あなたは24時間○○してますか?

この話はコミュニティでご紹介したんですが、
実は二通りあるということに気付いたんですね。

その1:他人がうらやましいとき
その2:他人に不快感を持ったとき

私がこの「24時間セコムしてますか?」を実感したのは
その2の方なんですが、

その1でも同じことなので、ここで少し書いてみたいと思います。

そもそも、人をうらやましい・・・と
嫉妬の感情を持つときって
自分がそのようになりたい、とか
そうなる価値があるはずなのに叶わないって
思っているときなんですよね。

例えば、私がアカデミー賞をとった女優さんをうらやましいとか、
世界新記録を樹立したスポーツ選手をうらやましい、とは
なかなか思わないように、
現実離れしたことってうらやましい、という感情ではなく、

どっちかというと、すごいなぁとか、カッコいいなぁとか、
Wow!という感情であって、嫉妬にはなかなか至らない。

ですが、高校や大学の同級生や近所の人が、
○○した、という話の場合、同じ土俵にいたことがある人なので、
なんであっちばっかり、
私は・・・という卑屈な感情が湧きやすい、
こういうカラクリだったりします。

だから、嫉妬って本当の自分の願いに気付く、
一つのチャンスでもあったりするわけですよね。

でも、そうはいっても、他人と比較してしまうこと自体
自分を蔑ろにしている部分がある
ということを否定できないわけで。

ふと、「あ、いいなぁ・・・」
とジェラシーに近い感情をもったとき、
私が思い浮かべるのが「24時間セコムしてますか?」
ということなんですね。

ジャラシーを覚える人の生活を24時間体制ではりついて
見ているわけではない、
ということは、見えていない部分も沢山あるわけですよね。

もしかすると、
心に抱える虚しさを外に出さないように我慢している、かもしれない。
うらやましく他人が思うことが、
その人にとって結構どうでもいいことで、
本当に望むことは叶っていないのかもしれない。
etc…

分からないんですよね、
生活も24時間体制で知りえないばかりか、
心の内側など知りえない。

そんなことに自分の気持ち、エネルギーをとられるよりも、
今日の自分は昨日の自分よりも
自分が願う形に近づいているのか?みたいなことに
フォーカスすることの方がよほど生産的だったりします。

次に、その2、不快感をもったときのお話。
これは実体験で、改めてそう思ったという話なのですが。

同じ職場ではないければ、
同じフロアに引っ越してきた会社の人が
実に感じが悪かったんですよね。

まぁ、一緒に働いているわけではないので、いいようなものの、
やっぱり朝会うとなんとなく気分が悪い。

会わなければラッキーみたいな感じでした。

いっとき、その感じ悪さが軽減したかと思いきや、
パワーアップしたんですね。

それで、益々、顔を合わさなければラッキーみたいな
かなり心の狭い状況が数日続きました。

そうこうしているうちに、何やら片づけとか
荷物を搬出したりという作業が始まったんですよ。

そうなんです、退去されることが決まったんですね。
引っ越してきて、1年も経ってなかったと思います。

つまりその人にとっては職場がなくなることですから、
そりゃ、もともと笑顔ってタイプの人じゃないから
益々不機嫌な顔をしていたわけです。

そのとき私が24時間セコムの話を思い浮かべていれば、
「何かあんのかもね?」と思えたはず。

そうすれば、私も朝から、ムムムという不要なエネルギーを
とられずに済んだわけですよね。

些細なことですけども、自分の在り方を振り返るのに、
「24時間セコムしてますか?」
これは私の一つの便利なフレーズとなっています。

これこそが鏡の法則-腑に落ちたこと

同僚との関係性で気付きが深まったんですよね・・・

中学時代の先輩後輩関係の気付きで
イライラすること自体は減ったわけですが、
まだ残っていたんですね、特定の人に対して。

ブロック解放などを他の方に提供していますから、
そういうこともやってみると、しばらくはOKですが、
またイライラが頭をもたげてくる、
これは一体何なのか?ということが
ずっと分からないままでした。

その後、2016年8月から12月まで佐藤由美子さんの
時空力プログラム3期というのに参加させてもらったんですが、
その中で人間関係のワーク等、
いくつかワークをしていったんですね。

そこで、少しは解消されたのですが、まだ決定的な
解消には至らなかったのです。
ところが、思いがけないことで、
私は自分の心の謎に気付いたんですよ。

それは、人の怖れに関する話を聴いたときに気付いたことで
DNAに刻み込まれた怖れとして、
自己肯定感の欠如や無力感、無価値観がある、
見ないふりをして逃げる、また守ろうと攻撃をする、
イライラの原因がそこにあったということだったんですね。

これだけだと分かりにくいと思うのですが、
私は、ずっと自分の自分の価値を立証するように生きてきました。

これは、幼い頃の家族の仕事が人から最悪後ろ指、
そこまでいかずとも
全く尊敬を集めることがない仕事だったことによるものだと
気づいたんですよね。

ただ、これ自体、私にとってかなりショッキングでした。
というのも、私は、
家族の仕事をそういう風に感じているつもりもなく、
彼女たちが一生懸命やっていることを知っているつもりでしたから。

しかし、心の奥底では私はそこに価値を見出せておらず、
結果、私ががんばることでしか生きている価値を証明できない、
そんな感じの刷り込みをしてしまっていた、
それは間違いないことだったんですよね、振り返ってみると。

一方、私がイライラする人というのは
仕事どうでもいい系とか、
大人になっても親のすねかじり系の人。

その人の無力感、無価値観を見ないようにする、
または守る、逃げるの行動としては、

お金にゆとりがある(同じ条件の人と比較して)、
少ない労働時間にしても生活ができる、
仕事であくせくしない、
趣味に時間もお金も避けているetc….
ということなわけですよね。

具体的に外に現れている行動が全く違うので、
同じ根っこから派生しているものとは思っていなかったんですね。

そして、その行動を見せられる度に、
無意識下で、私は自分の無力感、無価値観を追体験というか、
感じさせられていた、だからイライラしていたんだな、
そう気づいたんですね。

それからは、以前は目にするとイライラのもとであった
あくせくしなーい、仕事はぼちぼちでいい、
どうやってさぼるかを考える~みたいな行動を目にしても
あぁ、その根っこの行動をしてるんだね、また、と思うだけで
イライラしなくなったんですよ、実に不思議なことですが。

私が今回の肉体をもって生まれた理由(わけ)

続きは、coming soon


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